例の朝日新聞の記事に対するネット上のコメントに手当たり次第レスを返すインヴェンションの試み

あ、「例の記事」というのはコレね。
http://www.asahi.com/culture/music/TKY200703160235.html
実はクラシックのコンサート会場ではよく「隣の客の咳ばらいがうるさかった」とか「近くの席のおじさんが居眠りし出して、そのいびきが気になって…」なんて会話が、休憩中のロビーなどで交わされたりする。クラヲタたちはヨーロッパの老舗ホールのように、楽団員がステージに上がると「シーン」と静まり返る環境、そして曲が終わったあと物音ひとつしない、そういった「究極の静寂」を常に追い求めている。そして往々にして日本ではその期待は裏切られる。「静寂」への希求が募るあまり、会場でフラストレーションにも似た感情を抱いてしまうファンは多いと思う。それが朝日新聞の記事で紹介されているような形で顕在化してきている、ということだと思う。
クラヲタの間でも、観客のマナーはネット掲示板などでよく議論になっていた。そしてその議論は決まって「もっとマナーの周知徹底を図らねば!」派と「まあ色んな観客が会場に集まるんだから、ある程度のノイズは仕方ないんじゃないの」派との対立へと発展する。やがて議論は平行線となり、掲示板管理人の介入でひとまず休戦、といった流れになったこともあったと思う。そういえばmixiのクラシックコミュでも最近「咳対策として入り口でアメを渡すのはどうか」なんてトピックがあったりした(ちなみに私はこのトピックで、欧州のいくつかのホールで飴玉が大量に置かれていることを初めて知った)。
さて私はどっちの立場なのか、告白する必要があるだろう。実は昨日、一昔前のベルリン・フィルのライブをビデオで見ていたのだが、客席の「静粛度」の高さは相当なものだった。ブルックナー交響曲第9番」の最後のホルンの音が途切れる。指揮者のギュンター・ヴァントが両手を下ろす。そして静寂。万来の拍手が訪れるまでの8秒間は、まさに「サウンド・オブ・サイレンス」だった。この演奏会のような「一期一会」の機会には、やはり「究極の静寂」を求めたくなる。個人的にはアーノンクールの「メサイア」(彼の「メサイア」を聞く機会は恐らくこれが最初で最後だろう)や、大井浩明のクラヴィコード・リサイタル(楽器の音がとても小さくて…)などが「それ」に当たる。
その一方で、普段のコンサート会場で周囲の緊張感が重苦しく感じられることも正直ある。客席で顔をこわばらせている人たちを見て「そない肩意地張らんでもええんちゃうん」と思うこともしばしばだ。実は私は、その緊張感が疎ましくてコンサート会場から足が遠のいた時期があるのだ。その頃は「BBCプロムズ」のような、オーディエンスが自由に感情表現することを許されるコンサートが本当に「うらやましい…」と思っていた。私がロイアル・アルバートホールを体験したのはたった一度きりだが、そのとき演奏を終えたソリストに対して「ドドドドド…」と足踏みして感情を爆発させるアリーナの観客を見て本当におったまげたことがあるのだ。
こう書くと「じゃあオマエは一体どっちなんだ!?」と言われそうだが、結局「今日は気合を入れて聞くぞ!」というコンサートと、そうではないコンサートとでは会場に臨む心境が全く異なってしまうので、「そのあたりは臨機応変、自由自在で良いのでは」としか言いようがないのだ。
あー随分長くなってしまった(笑)。最後にネット上の記事やコメントにレスします。

グループで訪れる若い観客を、主催者は「のだめ軍団」と呼んで警戒する。
朝日新聞元記事)

えー、「のだめ軍団」て今年の流行語大賞狙いですか(爆)。

ちなみに関西からは、こんな「キレ客」にともなうトラブルはあまりきこえてこない。
(同上)

「キレ客」の有無はともかく、観客のマナーは関西の方が数段悪いと思います。

排他的?気軽に楽しめるような楽しみではないのかなぁ…。
id:memoclip様、はてなブックマークのコメントより)

そのように思われるのがいちばん怖い…。

今まで敷居が高かったのが割りと身近な存在になったのは

クラシックを昔から愛している人にとっては

嬉しいような悲しいようなものでしょうねぇ

例えるなら売れてなかったアイドルのファンだったけど

その人が売れて人気でてしまって

嬉しいような悲しいようなというか

わりと閉鎖的でそれで満足できる部分もありますし、
id:soratyan424様、「クラシック演奏会でトラブル急増

「悲しいような」という気持ち、わかります。でもそれ以上にわたしは素直に嬉しい。

たまにはクラシックでも聞いてみようか?程度の人が、気軽に足を運べる様な
演奏会が主流になれば、ファンの底辺拡大ももっと期待できると思いますけど。
(ku-an様、「「『のだめ軍団』、増殖中!」)

そのような方には「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」をオススメします(笑)。

クラシックのコンサートって、苦行だと割り切っていかなきゃ駄目よ。個人的には、日本のクラシックのコンサートって、ちょっとフォーマル過ぎやしないかという気がしないでも無いのですが。だって金を払うコンサートって、子連れじゃ行けないでしょう。
大石英司の代替空港

このコメントを見て、わたしは先日オンエアされた「きらきらアフロ」を思い出しました。そこでオセロの松嶋さんは、自身がウィーンでコンサートに出かけたときのエピソードを面白おかしく紹介していたのですが、そのとき彼女の近くには4歳くらいの子供がチンと座っていたそうです。そして演奏が終わるといきなりスタンディングオベーションを始めたそうです(笑)。

クラシック音楽はそもそものルーツが教会音楽ですから,まず確保されるべき環境は静寂であります。これに間違いありません。
江村哲二の日々創造的認知過程

これは一見正しいようで、実は正しくありません。19世紀に一世を風靡したピアニスト、フランつ・リストのコンサートの模様を描いたカリカチュアを見ると、観客が我先にとステージに群がっていることが分かります。その様は殆どモッシュダイブです(笑)。またそれとは別に、嘗て南ヨーロッパでは、酷い演奏をした演奏家に向かってじゃがいもを放り投げたりする観客がいたことを、指揮者のオシップ・ガブリローヴィチが証言しています。クラシックのコンサートで「静寂」を大事にするようになったのは、ワグネリズムが世界中に浸透した20世紀からではないか、と考えられています。このことはアメリカの音楽評論家Alex Ross氏のブログで詳しく記されています(参照)。これについて私も以前2号店で触れたことがあります

はてなブックマークコメントでid:NOV1975さんが「日本に欠けているのは『カジュアルなクラシックコンサート』だと思うよ」と言っていたが、この意見には同意。お酒を呑みながらでもいいし、第1楽章が終わった途端に拍手してもいいし(以下略)
id:yskszk様、「第1楽章で拍手したっていいじゃないか!」)

個人的な体験では、金沢の大晦日カウントダウンコンサートが「カジュアルなクラシックコンサート」に限りなく近い演奏会でした。それから「第1楽章が終わったら拍手OK」という意見には、海よりも深く同意いたします。