尾鷲総合病院 産科医との契約交渉決裂で来月から休診も

http://www.chunichi.co.jp/00/mie/20060901/lcl_____mie_____000.shtml
「やっぱり辞めちゃったか」というのが偽らざる感想。ネット界には「心無い発言をした市議会議員が悪い」的論調もあるが、この件はもっとぐにゃぐにゃごにょごにょした複雑な問題だと思う。
まず都会とはいえない人口の少ない地域、今は敢えて「田舎」と呼ぶことにするが、この尾鷲のように田舎の小都市で医療の拠点となるような総合病院での医師不足が深刻だ、という状況がある。別にその地域で医師の絶対数が不足しているかというと結構開業医は沢山いるのだが、大〜中規模の(救急患者を診るような)病院で夜間や休日にも馬車馬のように働くだけのバイタリティを持った若い医師が足りないのだ。これは明らかに2年前の4月から始まった新しい臨床研修制度の影響だ。これまで田舎の病院で当直を担当していた医師の中には、大学病院などに所属する研修医が結構沢山交じっていた。彼らは田舎の病院でアルバイトをすることでお金を稼いでいたのだが、新しい制度になってから研修医のバイトが禁止されてしまったため、田舎の病院では若くて元気な働き手が絶対的に不足する状況が生じた。
この新制度は大学病院にも深刻な影響を与えた。これまで各科(業界用語で言うと「各医局」)には常時10名以上の研修医が病院内での雑用の殆どをこなしていたのだが、そんな貴重な戦力が失われることになったのである。そして雑用の任務は研修医を指導する立場にある「研修医の次に若い医師」たる30代の医師が担うこととなった。実はこの「研修医の次に若い医師」たちこそ以前は田舎の病院にとって貴重な戦力として機能していたのだ。これらの病院は研修医だけでなくそのすぐ上の世代の貴重な人材も大学病院に奪われてしまった。田舎の病院は忽ち人材不足となり、その確保に躍起となった。特に脳外科や産婦人科などの、特殊技能を要する頭数の足りない科目において、その傾向は顕著となった。今回の尾鷲の一例はその結果なのだ。
一方尾鷲の病院で産婦人科を独りで任されることとなった医師にとって、この任務は拘束時間の長い、実にタフな仕事だった。一つの科を一人の医師が担当する、ということは結構キツイ仕事だ。今回は産婦人科なのだが、彼は非番のときでも病院の救急外来に身重の患者が運ばれたら、例えご飯を食べていてもトイレで用を足していても、ましてやプライヴェートを楽しんでいても携帯電話で呼び出しを食らう立場にあった。状況に応じていつでも臨戦態勢を整えている必要があるわけで、彼の仕事はある意味特殊任務であり、ある意味ジャック・バウアーだ。
しかし重責を担って仕事をこなしても、「5520万円」という一般の相場からはかなり破格(おそらく一般的な総合病院の勤務医の2〜3倍はあるだろう)の年俸で勤労に従事していた彼に対する周囲の視線が厳しいものだったことは想像に難くない。これだけ破格の年俸だと同僚医師たちの視線も厳しかっただろうし、組合も当然厳しい視線を注いでいただろう。これらのプレッシャーに耐えて1年間の職務を全うしてきた彼に必要だったのは、励ましの声だったと思う。
今月で任務を終える医師には「おつかれさまでした」と言いたい。
(9/8追記)このブログに、尾鷲市に特有の医療事情について書かれている。これを読んで私は頭を抱えてしまいました…。