クリスチャン・ツィメルマン インタビュー

http://www.asahi.com/culture/music/TKY200605240301.html
↑何気なく読んでみたけど、何気に注目発言ばかりなんですけど。
先ずは昨今のパソコン&iPod中心の音楽環境について;

「私はiPodの技術を高く評価しているが、それが自分の職業の、大切な何かを壊す可能性があることにも気付いている」
「ここ20年くらいのデジタルサウンドの普及で、『音』が『音楽』より重要になり始めた。デジタル社会は音楽を広めているようでいて、実際は私たちから音楽を遠ざけている。ネット上で簡単に音楽がコピーできる状況も、新たなレコーディングの機会を減らしている」

確かにクラシック音楽のレコーディングは激減したけど、だからといって音楽に触れる機会が減った、と断言するのは早計ではないか。昨年米国ではクラシック音楽ダウンロード売り上げは急増している(→参考:2号店の2/10のエントリ)。尤もヴィンテージ・オーディオのコレクターであるツィメルマンにとって、圧縮音楽フォーマットは聴くに値しない代物なのかもしれないが。
次に雨後の筍の如く現れる「若手演奏家」について;

「10代の子どもがベートーベンの後期のソナタをいかにも成熟した風に弾いているのが怖い。いまはデジタル機器で人の演奏が簡単に聴けるから、かのケンプが長い年月をかけて培ってきた個性すら、簡単にまねができてしまう。早すぎる成熟は、時として『自分の演奏』を失わせる」
「キャリアのためにたくさんステージに立つという発想は100%間違いだ。音楽家として自分の人生を生きていけば、その結果がキャリアになるだけ」

この指摘はある意味で正しい。確かに時々若手の演奏を聴くと「あれっ、これって○○の演奏と同じことやってる」と思うことがある。
でも現代はツィメルマンの言うところの「自分の演奏」をするのが困難な時代だと思う。今は演奏家は本当にゴマンといて、その中で優れた演奏をしよう、となると若手演奏家は「歴史的名演奏家たちに倣うのが”名演”への近道だ」と考えるのは当然だろう。そして若手が「成熟した風に弾いて」いるのは聴衆がそれを望んでいるから、とも言える。聴衆は演奏家が「自分の演奏」を確立するまで温かく見守るほどお人好しではないし、コンサートホールでは常に巨匠たちの「名盤」と比較しながら聴いているのだ。また個性的な演奏をしてもそれが人々の注目を集める保障はどこにもない。万が一世間の目に触れることになっても「これは面白い!」と持て囃されるか「クラシックの王道から外れてる!」とズダボロにされるか、どっちに転ぶかわからないから、ある意味オンリーワンを目指すのはクラシック音楽界ではギャンブルだ。まあ自らの個性を保つことの困難さを誰よりも痛感しているのはツィメルマン自身だとは思いますが。

ショパン:ピアノ協奏曲第1番、第2番

ショパン:ピアノ協奏曲第1番、第2番

↑アマゾンのレビューを読むだけでも、この演奏がいかに個性的かが伝わってくる。