ベルリン・フィルって

ベルリン・フィルでしか聞けない音」ってのがあるよね。中音域から低音が一つの音の塊になって、「ズンズンズン」て感じで迫ってくる感じ。虎屋の羊羹みたいに「ギッシリ詰まってます」みたいな重量感。この感覚はフルトヴェングラー時代はもちろん、カラヤン時代にも味わうことができた。
ところがカラヤンの後任のアバドは、(若い頃のロッシーニなんか聞くと特にそうだけど)軽快なドライブ感とバランス良い響きが売りだった訳で、そんな彼がベルリン・フィルと組んでどうなるのかと思ってたら、就任当初は重量感が2,3割減の、なんか食い足りない演奏が多かったような。でも退任する頃になると表現力が増し「重さ」も加わって、(いい方に)「変わったな」と思った。まあ、昔からのベルリン・フィルのファンはそれでも物足りないのかもしれないけど。
最近はどうなんだろうと思って、ラジオから録りだめてたヤツをいくつか取り出してみる。ノリントンが振ると、「もう何〜、これって本当にベルリン・フィル〜」てな位音のバランスが普段と全然違う。前から思ってたけど、ノリントンって創作料理的な新鮮な驚きが売りだね。コンビニおにぎりの「ツナマヨネーズ」みたいな。ついでにも一つ例えると「バニラコーラ」みたいな。好きな人はとことん付き合うけど、だめな人には全然。ま、ノリントンは個人的に好きですよ。でもベルリン・フィルがこんな風に鳴るなんて、と驚き、そして戸惑う。一方マリス・ヤンソンスが指揮するショスタコーヴィチ交響曲第5番の場合。これは充実した響きのオケ・サウンドの立派な演奏で、ちょっとカラヤン時代を思い起こさせる。こんだけ真面目で質感の高い演奏のショスタコーヴィチは、そうそう聞けるものではないですよ。
で、ノリントンヤンソンスらの(方向性は全然違うが)明快な表現を聞いたあとでは、現芸術監督ラトルのものは「やや方向性が定まってないかな〜」という気がする。バーミンガムやウィーンのオケを相手にしている時には聴ける「切れ」が足りないような。これからもまだまだラトル&ベルリン・フィルのコンビは続く訳で、アバドの時のような良い方への変化を期待したい。
参考:

Beethoven Overture "Coriolan" live 1943.6.27/30 [1989.3.27 NHK-FM on air]

Beethoven Symphony No.5 live 1957.11.3 [2001.4.29 NHK-ETV on air],
Richard Strauss Don Juan live 1984.10.18 [ABC(Japan) on air],
Tchaikovsky Symphony No.6 'Pathetique' live 1988 5.2 [1989.3.21 NHK-FM on air]

Mussorgsky A Night on The Bare Mountain live 1994.10.14 [1994.10.14 NHK-FM on air],
Mahler Revelge live 2001.9.24 [2002.7.29 NHK-FM on air]

Mozart Symphony No.38 live 2002.5.23 [2002.8.2 NHK-FM on air]

Shostakovich Symphony No.5 live 2002.12.19 [2003.8.10 NHK-FM on air]

Stravinsky The Rite of Spring live 2003.8.31 [2003.9.7 NHK-FM on air]